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自分の能力を磨け!「上司や同僚の能力が低くても、自分の能力が高ければ何とかなるかもしれない話」

パーフェクトヒューマン志願者武信です。

 

自分の能力を磨け!「上司や同僚の能力が低くても、自分の能力が高ければ何とかなるかもしれない話」というタイトルで話していきますね。

 

タイトルの深い意味が知りたくなった読者もいるかもしれません。

 

上司や同僚の能力が低くても、自分の能力が高ければ何とかなるのかぁと漠然と感じた人もいるでしょう。

 

この深い洞察について今回の記事では書きます。

 

具体例を用いるので分かりやすくなっているでしょう。

 

興味がある人は続きをお読みください。

 

では書いていきます。

 

目次。

1 この記事での能力の定義。

2 上司の能力が低い場合と自分の能力が高い場合

3 上司の聞く能力が低い場合と自分が自学自習できる場合

4 能力が高い人は上手に世渡りできる&能力が低い同士は最悪。

5 能力が高い人と話していると自分が凄く有能に感じる現象&能力が高い人は便利な存在。

6 僕の身近な具体例。

7 具体的事例から抽象的概念にまで昇華させて本質を見るべし&記事の紹介。

 

 

 

1 この記事での能力の定義。

 

まず、能力が高いとは「理解力が高く、情報量が多く、アウトプット力が高い」ことと仮にします。(他にもいろいろあるでしょうが今回の記事でこう定義します)

 

能力が低いとは「理解力、察する力が弱く、情報量が少なく、アウトプット力、説明力が低い」こととします。

 

 

2 上司の能力が低い場合と自分の能力が高い場合

 

で、上司の能力が低い場合、「説明が下手」ということになります。

 

本来なら、自分の責任ではないかもしれないのに説明が下手でわかりにくく、理解しづらいのでしょう。

 

ですが、自分の能力が高ければ「察する力が強い」のである程度、理解できてしまうでしょう。

 

説明不足で省略している話も、自分の情報量の多さと理解力の高さで補って理解してしまいます。

 

前に以下の記事で過剰な説明をする人を挙げました。「話が長い人、くどい人」は自身の察する力が弱いので相手も察する力が弱いと無意識に感じて、過剰な説明をするという話でした。

perfecthuman100.hatenablog.com


 

こういう過剰な説明をする相手には「内心、話が長いなぁ」と能力が高い人は感じるでしょう。

 

ですが、説明不足な人よりはやりやすいかもしれません。こちらは補う必要がなく、単に省けばいいだけだからです。

 

 

3 上司の聞く能力が低い場合と自分が自学自習できる場合

 

話を戻しますが、今度は上司の聞く能力が低い場合を考えてみましょう。

 

能力が高い人はアウトプット力、説明力が高いので「理解力が低い上司にも理解させやすい」と思います。

 

林修池上彰並の説明力があれば理解力が極限まで低い場合でなければ、ある程度まで理解してもらえるでしょう。

 

また、自分の聞く、話すだけでなく、自学自習する能力が高い場合、本や文書やマニュアルを与えられればそれを読んで理解できてしまうでしょう。

 

こういう人も能力が高いです。手取り足取り、上司が説明する手間も省けて上司は楽なはずです。

 

 

4 能力が高い人は上手に世渡りできる&能力が低い同士は最悪。

 

このように能力が高い人なら、能力が低い人達とでもある程度、上手に付き合え、渡り歩いていくことができるのです。

 

逆に、能力が低い人同士だと最悪です。(想像してみてください。彼らが話し合っている姿を)

 

上司の下手な説明に対し、理解ができず、上司に自身が説明するときも下手なのに加えて、上司自身も理解力がないので理解してもらえません。

 

傍から見たら、コントになっているかもしれません。

 

 

5 能力が高い人と話していると自分が凄く有能に感じる現象&能力が高い人は便利な存在。

 

また、能力が高い人と話していると自分が凄く有能な人に感じてしまう人もいます

 

なぜかというと話者の説明が本当は下手なのに「能力が高い人は察する力が高いので、理解できてしまうから」です。

 

自身の説明力が高いかどうかはいろいろな人に話してみてわかるでしょう。能力が低い人に話しても理解してもらえるなら、本当に説明力が高いと言えます。

 

能力が高い人がいるとかなり便利な存在となります。

 

意思疎通の伝達においては周りを説得できる話し手、仲介役となりえますし、文章を書く力が高ければ周りに伝える文書の書き手となります。

 

同じ話をしても全員に必ずしも、理解してもらえるとは限りません

 

 

6 僕の身近な具体例。

 

ここで、僕の身近な例を出します。世間話みたいな話を知り合いの家で知り合いの奥さんと子どもにしたのですが子どもは理解できていませんでした。

 

奥さんは理解できていたのにです。子どもには前提知識がなく、もっと補足的に説明しなければいけなかったのです。

 

このとき、奥さんと子ども(中学3年)は僕とのSKYPE上の対話をたまにしているのですが、たまに、チャットで奥さんと子どもの動画を僕に送ってきており、その理由が動画を保存するには誰かに送らなければならなくて、その送り先が僕なら安全だからというものでした。(僕は送らないと保存されない仕組みが謎でしたが)

 

その話を受けて、僕も似たような事例があるものとして、僕も知り合いにLINEにチャットを送るという話をしました。

 

僕が駅に行き、有料自転車置き場に自転車を置く際、自転車の番号をメモする代わりに知り合いにLINEで数字だけ送るという話をしたのですが、子どもだけは理解していなかったのです。

 

理由は、自動車置き場に数字番号があるというのを知らなかったからです。

 

ちなみに今では自分でLINE上に会議をつくり、自分だけが参加してそこにメモ代わりに送っており、こうすれば誰にも迷惑にならないことに気づきました。

 

 

7 具体的事例から抽象的概念にまで昇華させて本質を見るべし&記事の紹介。

 

この話はあくまで例え話です。この話をすると「大人と子どもだったら理解力が違うのは当然だ」とかつまらない批判をする人がいるかもしれませんが、あくまで前提知識があるかないかで理解力に差が出てくるという話なわけです。

 

具体的事例からだけでなく、抽象的概念にまで昇華させないと本質は見えません。

 

このように相手の前提知識があるかないかでも相当、理解力に差が出てきます。

 

また、以下の記事では無能は組織からなくならないという話がされています。

 

なぜなら、無能は組織に紐付けられているからだそうです。

 

無能を排除したり、有能にさせるのではなく組織のマネジメントや仕組み作りで対応したほうがいいという話です。

 

また、以下の記事でも、属人性の話をしています。上の記事と似ていますね。

 

経営、政治では属人性は良くないという話です。

 

能力のばらつきが出て、不安定になるからです。組織や仕組みで対応した方がいいのでは?という記事です。「政治、経営が属人的なことはいいことなのだろうか?」

perfecthuman100.hatenablog.com


 

 

ではこの辺で。